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いい日旅立ち・西へ 明治維新胎動の地 萩(山口県)

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いい日旅立ち・西へ 明治維新胎動の地 萩(山口県)

日本の近代化に大きく貢献されたこの地なくして現代の日本は語れないのでは・・と言っても過言ではないほど多くの建物&資料等のお宝が残されている所です。

●萩市内観光
(松下村塾・松陰神社……伊藤博文旧宅・別邸)==松陰墓所・生誕地==東光寺==明神池==反射炉==萩心海(昼食)==城下町(木戸孝允旧宅・菊屋家住宅等)

 
明治維新胎動の地 国指定史跡:松下村塾  2009/10/04

吉田松陰の叔父である玉木文之進が1842年に設立したのが松下村塾のはじまりです。
当時は松陰もここで学び、その後1856年8月から1858年12月までのわずか2年余りに過ぎない期間を塾生たちの指導に当たった。

安政の大獄で捕えられ死罪(1859年10月27日)となった松陰は即刻30歳と言う若さで処刑される。

門下生達の中には倒幕運動半ばで倒れた久坂玄瑞や高杉晋作、吉田稔麿初め維新後の生き残り組で後に初代内閣総理大臣(明治18年(1885年))となった伊藤博文や3代の山県有朋等がいます。

 
城下町 ●高杉晋作旧宅

高杉晋作が生まれ育った生家で、座敷や居間、裏庭の井戸などがそのままに残っています。

1839年この地で生まれ、吉田松陰の松下村塾に学
び、尊皇攘夷論の急先鋒として活躍、奇兵隊を組織して幕末の長州伐軍を破りました。
しかし、まもなく肺結核で倒れ明治維新を見ることなく1867年、28歳と言う若さでこの世を去りました。


城下町 木戸孝允旧宅(国指定史跡 )

藩医和田昌景(禄高20石)の長男として1833年6月26日にこの家で生まれました。
7歳のとき、近隣の桂九郎兵衛孝古の養子となり初めは桂小五郎の名前でも知られています。

17歳で松陰の門下生に20歳の時に江戸に出て剣術(神道無念流)を身につけ更に造船術や蘭学を学び、25歳で萩藩に登用される。

その後は池田屋事件で危うく難を逃れ、帰国後は挙藩討幕に尽力、1866年には坂本龍馬の仲介で薩摩の西郷隆盛、大久保利通らと薩長同盟を結び、維新回天に尽力した。

維新後、名を木戸孝允に改め、新政府の要職を歴任し1877年(明治10年)45歳で死去


城下町 菊屋家住宅(重要文化財)

萩藩の御用達を勤めた豪商菊屋家の住宅で、その屋敷は幕府巡見使の宿として本陣にあてられた。

主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場の5棟が国の重要文化財に指定されています。
中でも主屋が極めて古く、全国的にみても最古に属する大型の町家としてその価値は極めて高いと言われています。

 
菊屋家住宅 書院の庭

 
                城下町 菊屋家住宅前にて

●着物ウイーク IN 萩/10月上旬

「着物」をテーマに、和を身につけ、和を学び、和を楽しみます。   


 
萩の反射炉
現存する反射炉としては静岡県の伊豆の国市韮山にある反射炉とここの2ヶ所だけだったと思います。


お昼場所は萩を訪れた時にはよく利用させて頂いてます「萩心海」さんで・・小さな灯台が目印です。

ちょっと高めですが、鮮度はバッチリ!




拍手[13回]

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コメント

1. 無題

大河ドラマのあとのナレーションのようじゃー
勉強になるなぁ(^。^)
ウニが美味そうじゃ(^v^)
萩に寄ったら食べたいなぁ

2. 無題

あーっついにキター今までで一番行きたかったところ。実は萩❗いちばん大好きな食べ物はウニとエビ❗いこうね

3. 無題

河豚もうめーぞ

4. 無題

天然ものはかなり高価とのこと。

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